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学校って何?

東近江市市長の「フリースクールは、国家の根幹を崩しかねない」とか「不登校になるのは親の責任なんだ」という発言が、TVや新聞でいろいろ取り上げられているので、改めていくつかの報道を見てみました。この発言は、個人的に「ぽろっ」と言ってしまったということではなく、不登校対策を議論する、滋賀県の首長会議という公の場での発言であることを知りました。しかも、彼が発言した時に会議の場は特にリアクションもなく、会議後の記者会見で、問題になったそうです。



私は、会議に出席していた、滋賀県内の市・町の首長たちが、同じように感じているということに驚きました。私は、不登校問題と出会ってから40年がたちましたが、最近はあまり不登校の相談を受けることがなくなっていたので、以前より社会の理解が進んだと思っていたからです。そんなことはなかったんですね。私は「不登校になるのは、親の責任」という言葉を聞いて、40年前のことを思い出しました。息子が小学4年の時、ある日を境に学校に行かなくなり、市の教育委員会から、呼び出されたことがありました。その時、職員から「あなたは、親としてお子さんを学校に行かせる義務があるのに、怠っていると言わざるを得ません。あなたの家の居心地が良すぎるから、学校に行けなくなっているんです。もっと厳しくしてくれないと困ります。」と言われたのです。



そのころは、『不登校』と言わず、『登校拒否症』という言葉が使われていました。文部省の指導要領には、「登校拒否症になるのは、家庭に問題があるから」とはっきり書かれていました。「夫婦仲が悪い」とか、「父親の社会性が欠如している」などと。私は「社会性がなく、家庭を居心地よくしている父親」と言われたのです(家庭を居心地よくして何が悪いんだ!)。少し前は「母原病」という言葉があり、母子分離の問題が中心に語られ、母親だけが原因と言われていましたから、やっと父親にも責任があると言われるようになったのだけれど。それから、20年ほど時間が進み「不登校は、だれにも起こる問題」と、文部省の認識が変わり、2007年に「多様で適切な学習活動」の重要性を明記した『教育機会確保法』が成立したのです。



彼は、「義務教育っていうのは、親が嫌がる子どもを押し付けてでも、極端に言うと大人が判断して勉強しなさいという世界なんです」とも話しています。憲法には、「1. すべて国民は能力に応じて、教育を受ける権利がある。2. すべて国民は、子女に普通教育を受けさせる義務を負う。」と書かれています。まず、ほとんどの親たちは、子どもが学校に行かなくなった時、教育を受けさせようと努力しています。つまり、義務を放棄している親はいません。しかし、その子の能力にあった教育をしているところ『学校』が見つからないのです。彼の考えている学校はあるのですが…。この時初めて、私は、「子どもの能力にあった教育とは何か?」を考えなければいけなくなりました。それまで、当たり前にあると思っていた私が考える『学校』がないことを知ったのです。