昔から「あなたはイヌ派? ネコ派?」と聞かれることが良くあります。どうも人間は、大体この二つのタイプに分けられるようなのですが、その真偽は横に置いておきます。私は、こういう時「犬派」と答えて来ました。その理由を考えてみると、子どものころから家で犬を飼っていたことと、もっと小さいころに、知人の家に行ったとき、その家の子ども(私より数歳上だったと思う)が、突然私の頭に猫を置いたことがありました。その猫は驚いたからなのかわかりませんが、私の頭の上から落ちないように(?)爪を立てたことがありました。私には、頭の上のことなので何が起きたのか全くわかりません。私はただビックリして、恐怖に襲われ、身体が硬直してしまいました。時間にすると瞬間だったし、けがもしなかったのですが、このときの記憶がずっと残っていて、大きくなっても、猫が私のそばに来ると体が硬直するようになっていたからです。
しかし、塾を始めたころ道端に子猫が2匹、段ボール箱に入れられ捨てられていました。一緒にいた息子が家に連れて帰ると言い出したとき、生まれたばかりの小さい命を見捨てるわけにもいかず連れて帰ったことがありました。その後、妻と娘にも「飼いたい!」と言い出され、「いやなら、あなたが家から出て行って(笑)」とも言われ、私は体がこわばっているのですが、承諾するしかありませんでした。その日から、猫に緊張する生活が始まりました。私からは絶対猫に触れないようにしているのですが、なぜか、手を出さない私は、家族の中で一番猫に気にいられるようになりました。そして、猫との暮らしが約23年続き、私も猫を見ると緊張するようなことはなくなりましたが、「あなたは、ネコ派?」と聞かれると、今でも「犬派」ですと答えています。
先日、戦闘が続いているイスラエルで、『猫カフェ』が開店したというニュースがありました。毎日命の不安にさらされている生活を強いられている人たちにとって、つかの間の「癒しの時間」を得る人間の工夫という話でした。「ネコには、そんな力があるのか!」と私は、驚きました。こういう時に、『イヌカフェ』というイメージは確かにありません。また、あるYou Tubeを見たときに「ネコ式子育て」をしているという人の話がありました。どういう「子育て」かと言うと「あらゆる暴力から、わが子を守り抜く」という考えが基本にあるのですが、猫には、何を言っても言うことを聞いてもらえなくても、可愛と思い、猫の思うままに自分のほうを合わせてゆくように、わが子に対しても「いうことを聞かせる」という態度(隠れた暴力が生まれる)は一切取らず、子どもの思うままに育てるということでした。この話を聞いて、知人のことを思い出しました。私より10歳くらい年上の方で、子育てが終わり、子どもたちが家を出た後で、猫と一緒に暮らすようになったのですが、猫と暮らしていて「どうして、自分の子どもの時、この子たち(猫)に対するのと同じように、じっと見守り続けることができなかったと気が付いた」と、しみじみ話してくれたことがありました。『教育』とか、『躾』を考えるとき、ネコとの生活を一つの基本として考えることは大切なような気がします。