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「当たり前」を考える

『注文は、スマホで』



先月、3年ぶりに新宿駅の近くの居酒屋さんに行った時のことです。集まったのは、私とほぼ年齢が同じ大人12人でした。座ったテーブルにメニューがありません。店員を呼び出すボタンと、地図のような? 暗号のような? デザインが印刷された紙が一枚あるだけでした。店員さんが来て、「スマホでこのQRコードを読み込んで、注文してください」と言うのです。回りを見渡すと、全員がスマホを持っている様子ですが、言われたとおりにスマホを取り出す人はだれもいなく、みな「えっ!」と、いう顔をしています。私は娘からスマホを渡されたのが半年前で、全くどうしたらよいかわかりませんが、私以外の人はもう何年も使っている人たちですが、誰一人手を動かそうとはしません。幹事が「じゃ! やってみる」と、言って果敢にチャレンジします。すると「行った」と、言ってみたり「えっ? 進まない!」と、叫んでいます。飲み物すら注文ができないので店員さんに来てもらいました。



その店員さんは、自分のスマホを取り出してサッサと指を動かしていますが、突然「あれっ?!」と、声を出すのです。そして「すみません、この部屋は電波状態が悪いようで私のスマホもうまくできません、〇〇以外のスマホをお持ちの方いませんか?」と、言うのです。「なーんだ!」友人の操作がまずかったのではなく、電波状態が悪かったのか! どちらにしても私は全く何もできないので、ただ見ているだけです。今や、スマホで注文するのが当たり前の社会になっていました。私はスマホが使える人が一緒でないときは、お店に入らないようにします。




『学校は、目の前にあるだけではない?』



我国の小学校は、今から140年ほど前、明治政府の富国強兵政策で、欧米列強に勝つ軍隊を作るために作ったのが始まりです。その時、4年制でした。その後義務教育は、6年制になり、9年制になったのは、1947年からです。昭和の始めまでは、全国に学校が次々作られてゆく一方で、「我が家の大切な労働力を奪うな!」と、子どもを学校に行かせない親も結構いたと聞いていますから、皆が当たり前のように学校に行かせるようになったのは、7・80年ほど前からだと思います。



私の子どものころは、自分が住んでいる地域にある学校に行くのが当たり前でした。時代が進み、学校が増え、住んでいる地域も広がり、目の前の学校一つしかなかった状態から、学校を選べるようになりました。今は、さらに進んで選択肢は海外に広がっています。「ここ20年ほどで、日本人の間にも教育移住が広がっている。特に近年は、欧米や豪州だけでなく、より安価に留学を実現できる東南アジアを目指し、中間層でも教育移住が増えている。」という記事が朝日新聞(6月17日付)に載っていました。現代は、学校は、人それぞれの意味がある場所になりました。