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「宿題」とは?(その4)

今回は宿題を「とても辛い!」と本人が感じているだけではなく、私の目にも「ちょっとひどすぎるんじゃない」と感じるケースについて考えてみました。このような時はほとんど、自分の力では解けない内容であったり、量がとても多く、寝る時間に影響が出ています。そして私が「やらなくてもいいんじゃない?」と言っても「やってゆかないと成績に響くんです」と答えることがほとんどです。



教師はなぜこのような宿題を課すのか? 私なりに考えてみました。 1, 「君たちは一流大学を目指しているのだから、これくらいの課題をこなせるようにならないといけない」 2, そのためにも、何回も何回も反復練習が必要なんだよ」と、親切心で言っている。確かに、その子の通う学校は、大学進学を掲げているので、教師は「それはみなわかって入学したはずでしょ」と言われれば、なんとも返す言葉がないということのようです。確かに、私も宿題の内容は、そのレベルの大学入試問題の内容だと思うけれども、私の目の前にいる生徒が、そのような入試を考えているのか? と言うと、まだ、ほとんど大学入試はどんな内容なのか知らないし、どのような大学に行きたいかも、決まっていない・決められない生徒がほとんどです。



例えると、「野球が好き」だから、甲子園によく出場している学校に入学しただけなのに、いつの間にか「これくらいできないと、甲子園に出られないぞ!」と言われている感じがします。野球が好きなのは確かだけれど、草野球が好きだったり、ただ応援するのが好きだったり、マネージャになってみたいとか、夏休みに「甲子園に行けるぞ!」と思っただけという生徒がいても不思議ではありません。中には、入ってみたけれど、そんなに野球が好きなわけでもない生徒や、今は他のことが好きになっている生徒もいます。それなのに、わが校の生徒はみんな「甲子園に向かっての野球」の練習に参加させられているようです。いろいろな思いの生徒がいるのだから、生徒一人一人に合わせて課題を出す環境にならないと、学校が野球嫌いな生徒をたくさん作りだす結果になるのではないでしょうか? 本人の能力を大きく超え、子どもを追い詰める結果になっている課題は、生徒に対する「究極のいじめ」であると言う私の仲間もいます。話は変わりますが、先日、You Tubeを見ていたら「教育虐待」という特集番組がありました。私は、この言葉を初めて見ました。昔は「教育パパ」「教育ママ」「スパルタ教育」という言葉がありましたが、いつの間にか、社会は、教育の名で子どもを追い詰める力が、昔より強くなっているのかもしれません。



百歩譲って「この課題がこなせない生徒は、その進路をあきらめ、別の道を考える」きっかけを与えていると言えるのかもしれません。もしそうなら、成績に反映させ、生徒を追い詰めることはやめて「できない人は、できなくてもいいよ!」と生徒に伝えるべきだと思います。「辛い」と感じている生徒たちには、ただの苦痛でしかなく、数学拒否・勉強嫌いになるだけと私は思います。