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「辛い宿題」のオタスケマン現る!

みなさん『ChatGPT』と言うものを知っていますか? 新聞のコラムでは「読書感想文をたちまち書いてくれるAI」と紹介されています。例えば、「太宰治の『人間失格』の読書感想文を800字以内で」と指示を入力すると、サイバー空間から様々な情報を探し出し、作文を作ってくれるそうですと書いてあります。先日TVのニュース番組で、この『AI(ChatGPT)』を取り上げていたので、見ていると、アナウンサーが「この番組にふさわしい詩を書いて」と、話しかけると、数秒で一編の詩が書きあがりました。さらに「もっとソフトな感じに」と話しかけると、また、数秒でさっきより明らかにソフトな感じの詩が書きあがります。さらに、「この詩に曲を付けて」と言ってみたら、すぐ曲を書き上げてしまうのです。



こんな『AI』は高価で、だれにでも使えるものではないと、思っていると、すでにアメリカでは、この『AI』を使って大学生がレポートを書いて(?)いるという話でした。提出されたレポートが学生本人が書いたのか『AI』が書いたのか全く区別がつかないそうです。当然「いい」「悪い」の議論はありますが、安く(ただで)、簡単に使え、だれにでも手に入れることができる、宿題の『オタスケマン』が現れたのです。本当につらい思いで学校生活をしている生徒にとっては、朗報だと私は思います。さらに、生徒たちを追い詰めている勉強・課題の在り方(教育の仕方)を、根本から見直さざるを得ない時代に入ったのだと思います。これまでの教育って『AI』にとって代わられるものなの? 教育とは何? 『AI』があれば解決できる程度のことは、教育って言えるの? 『AI』にできないことって何? いろいろなことについて、根本から考えなければなりません。



これまで何年もの間「教育を見直す」とか、「これからは○○の教育を目指す」とかいろいろ言われてきても。なかなか変わることができなかった教育が、ここにきて一瞬に『AI』によって変えられる状況になったように思います。『AI』の登場は、教育だけでは済みません。『AI』は考えているのではありません。膨大のデータを整理しているだけです。でも、私たちが普通に『考えること』を『AI』は、考えずにできてしまうのです。私たちが『考えていること』とは何なのでしょうか? 先程の、番組に即した「詩」でも、私達素人が書いたものとは比べ物にならないレベルの出来だと思えるほどです。それをだれにも『AI』を使ったとわからなければ、「私が作った詩です」と言えるの? 「本物」と「偽物」の違いは何? 面白いテーマが次々浮かびます。



「考えること」はよいことだったし、「考えること」なくしては何も始まらない、「考えることによっていろいろなものが生まれる」と信じてきた、私たち「科学の時代20世紀の人間」の思考が根本からひっくり返った感じがします。長く生きているといろんなことに出会います。生きているって、本当に「楽しい」ですね。みんな一緒に、ゆっくり考えてゆきましょう。