先月のお知らせを読まれた方から、「92年間毎日毎日宿題の連続だったかな?とか考えたり致しました」というお便りをいただきました。私が子どものころ大変お世話になった、お姉さんのような方からの言葉です。思い出しました。その日のうちに終えることができなかったことや、わからなかったことがある時よく「じゃ、これは宿題!」と人から言われるだけではなく自分自身に向かっても言っていたことを。このような宿題は教師から言われる宿題とは違って、自分に課せられた課題であったり、目標になる課題であることが多かったような気がしています。ですから、終わらなければ寝ることができなかったり、「明日学校に行けない!」などと追い詰められることはありませんでした。
私が気になる「宿題」は、「明日までに終わらさなければいけないので、今晩は徹夜します」とか、「もう仕方がないから、答えを丸写しにします」などと生徒に言わせてしまっている学校からの「宿題」です。よく大人たちから「大人になったら、いやなことも我慢してやらなければいけないことと沢山出会うから、そのためにもちゃんとやったほうがいい」という意見を聞きます。あっそうか! 「宿題に出された問題や内容と向き合うことではなく、いやなことと出会った時の練習をしているのか!」いやそんなはずはない! 私も塾生に「じゃこれ宿題にする?」言って、その時間内に終わらなかった何問かを、家でやってくるように言うことがあるけれど、その時の私は、「家でやれたらやってきてね、もしできなかったらそのままでもいいよ」と言っています。私の場合は、ほとんど考えてくるというより、「繰り返し練習をして、できる様になろうね」と言っています。
私が不思議に感じているケースは、こんな問題(受験レベルなど)をこんなにたくさん、普通の子には終わらせることが無理なのでは?と感じさせる量の問題を抱えた生徒を見たときです。宿題を出した教師は、一体どんな意味があってこの宿題を課しているのだろう? これをやる子供の立場になっていろいろ考えても私にはわからないときがあります。子どもの立場を離れて考えたとき、いくつかの意味が見えてきます。「これくらいできないとダメだよ」「これができないくらいならこの教科は君には向いていないと考えたほうがいいよ」「学校は、先生に言われたことは、ちゃんとやるところだよ」などなど・否定的な言葉での説明ができるのです。ときには、宿題を提出してもほとんど見てもらえない話や、内容を確認することなく提出したかどうかが問題で、点数の基準になっているなどの話を聞くこともあります。
私には、「宿題」が子どもを勉強嫌いにするように見えてしかたがありません。過大な宿題を抱えて困っている生徒がいたときは、いつも「ちゃんと寝なさいね、勉強嫌いにならないでね」と話しながら手伝っています。