JR三鷹駅北口徒歩3分の個別学習塾
社会人・大学生から高校生・中学生
不登校のかたまでお越しください!

当たり前と思っていたことを考える

夏休みの最終日、宿題が終わっていなくて親に怒られたり、慌てて算数・数学問題集の解答を写したり、文庫本の最後にある「解説」文をまねて、あたかも読んで感じたように文を作り替えたり、絵日記や図画工作・家庭科など実技の宿題は、親にやってもらうということは、私が子どものころからずっと続いている、夏休み最終日の家庭の姿です。長い夏休みなのに、終わらない宿題とは何なのか? これまでほとんど語られてくることがなく、ほほえましい、懐かしい子ども時代の思い出話で終わってきた、夏休みの宿題。今年も、TVでは同じような話が伝えられていますが、私が子どものころから、何十年も変わらず続いているのは、なぜなんだろう? と考えてみました。



まず、夏休みと聞いたら私はいつも、子どもたちに「宿題はたくさんある?」と聞いています。「そんなにない」ときは「良かったね」と「たくさんある」ときには「大変だね」と言ってきましたが、子どもが大変と感じている宿題そのものを疑ったことはありませんでした。私が生徒の立場にいたときには「宿題はあるもの」と自然に受け入れていたように思いますが、教える立場になってからは、ある出来事があってからは「宿題を出すことを当たり前」とは思わなくなりました。それは、ある生徒にはいつも勉強が終わったときに「じゃ来週までにこのページをやってきてね」と言っていたのですが、その会話を聞いていた別の生徒から「先生、なぜあの生徒には宿題を出して自分には出してくれないんですか!」と抗議されたことがありました。



わたしは、宿題は生徒によっては負担を感じるものなので、生徒を見て判断していたのですが、その生徒には逆に差別されているような感じを与えてしまったのでした。私は気は進まなかったのですが、「それじゃ、来週までにこれとこの問題をやってきてね」と宿題を出しました。しかしその生徒は次の週から来なくなったのです。来ない理由が「出された宿題が終わっていない」ということがわかりました。宿題が終わっていなくても何も問題はないし、塾に来てから解いたっていいのにと私は思っていたのですが、その生徒にとっては「そんな気楽なことではなく」やらない自分を責めたり、「宿題をやってからでないと塾に行けない」という気持ちになっていたのです。それ以来、「宿題を出して」と言われたときは、とりあえず出すときもありますが、ほとんど出さないようにしてきました。本当に自分から問題を解こうと思っている人は、「宿題」を出す必要がありません。何も言わなくても、次に塾に来るときまで自分で問題を見つけて解いてきています。「宿題」は辛い気持ちにさせることがあっても楽しい気持になることはないのです。それなのに、生徒が通う学校から出される「宿題」について、生徒がつらそうにしているときは、手伝ってきましたが、学校は何を考えて宿題を出しているのかをきちんと考えてきませんでした。最近は、このような当たり前と考えられてきたことを、きちんと考えてみる必要があると感じています。