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「ズレ」とは?

先月のお知らせで、親子の間で生じるずれについて書きましたが、それ以来、「ズレ」とは何なのか、ずっと考えています。「ズレ」とは、同じことを考えたり、同じものを見たり、同じことを経験してきたはずなのに、それぞれの受け止めかたや感じ方が違うときに起きることなのですが、私は、「ズレ」があったときは、「丁寧に話し合えばわかりあえるはず」と考えてきました。



しかし、母との「ズレ」を感じたとき、「わかりあえることは無理」と思いました。まず、お互いに、相手の話をゆっくり聞こうという姿勢になれないのです。自分が思っていることから話が始まりますから、話のスタートから「ズレ」が生じているのです。親の介護の中でこういうことがあったとき「認知症がはじまった」と言われることがよくあります。私も、母がとうとう認知症になったの?と思ったりしますが、何かすっきりしません。



母の言っていることの理解はできないのですが、言っていることだけをたどると、きっと「こう考え、ああしたい、こうしようと考えているのだろう」と筋道が見えてきます。ですから、言っていることが訳のわからないことを言っているとは思えないのです。しかし、言っていることに具体的に答えることはほとんどできません。なぜなら、まず「言っていること」が具体的にわからないのです。例えば「あそこにある箱の中に、あれがあるはずだから取って」と言われたときに、「あそこ」がどこなのか? 「あれ」が何なのか? 何のためにそうしたいのか? ほとんど私にはわかりません。「きっとこういうことなのかな?」となんとなく分かったときでさえ、ほとんどが、言われたとおりにすることは、無理なのです。



このズレが生じると、母は、「言うことを聞いてくれない」と言って怒り出します、私も怒り出す母に腹が立ってきます。こうなったらお互いに理解することは不可能です。仏様のように、にっこり微笑みながら、心安らかな会話をすることなどできません。介護を経験してきた先輩たちは、「自分も同じように感じてきたけれど、それまでと同じ状態ではなく、病気になっていると考えることによって、気持ちが変わったよ」と話してくれるのですが、私には、「このような『ズレ』は昔からあったんです」と言いたくなり、気持ちを切り替えることができません。



この「ズレ」を考えているとき、きっと、「どちらかが正しく」て、「どちらかかが間違っている」のでは?と考えているような気がします。そして、同時に、自分は間違っているはずがないとまで思っていることに気が付きます。この状態は、お互いに正しく認知することや判断ができない状態であるということではないか?と思うのです。「正しい認知」「正しい判断」とはいったい何なんのでしょう? コロナのことを考えても、同じことが世界中で起きているように感じています。