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親子のずれ…

「親の心、子知らず」とか「海より深い親子心」という言葉があります。ドラマや、ドキュメントなどでも、断絶状態になった親子が、いろいろあっても、最後はわかりあうというシーンをよく見ます。そういう場面を見るたびに私は「本当なの?」といつも思ってきました。しかし、一方で、相談で親子関係がこじれている状態にある時、「きっと、わかりあえるはずです」と親にも、子どもにも話している自分がいます。「親子は本当に通じ合えるのか?」という問いは、私にはこれまでもこれからもずって続くテーマです。



先日、私の母に急に変化が起き、それまで身の回りのことを一人でできていたのですが、ほとんどベッドから出られない状態、食事も一人では用意ができない状態になりました。それまで週に数回お願いしていたヘルパーさんも、毎日数回は来ていただかなければ心配な状態になりました。今まで使っていたベッドを電動ベッドに替え母が楽になるようにし、そしてヘルパーさんが動きやすいよう部屋の荷物を片付けなければならなくなりました。



部屋には、母が終活で片付けようと思っているいろんなものが置いてあります。入浴の介護の時の着替えやタオルなどが入った籠などもたくさんあります。入れ替えの日までに、それらの物を片付けなければいけないのですが、一つ一つどこに置くか母に聞いている暇がありません。仕方がないので、私の判断で家具や荷物を2階に運んだり、不要と思われる物を捨てたりして、スペースを作りました。



それからしばらくして案の定「あれはどこに行った?」「あそこに置いてあった何々を取って」という場面が起きました。そのたびに、「あれはもう片付けてないよ」「あれは2階に持って行ったよ」などと答えると、母は、「あれがないと困る!」「あれは大切なものだったのに!」「どうして勝手にものを動かした!」など、不満の言葉が出てきます。こんな時、「親子のずれってこんな風に始まっているんだな」と感じています。普通こんなことは、そのうち本当の気持ちは伝わるはずだし、わかっているはずよ」などと言いますが、私にはこういうことが何十年も続いてきたら、「本当にわかりあえるのかな?」と思うのです。



親子にまつわる諺は、辞書にたくさん載っています。「子の心親知らず」など正反対の言葉もあります。昔からみんな悩んできたことが伝わってきます。そして本当のことは、わからないけれど、「最後はきっと、わかりあえるはず」と思いたいんだなと感じます。きっと昔からわからないこと、わからないからこそ「こうあってほしい」という願いが言葉になってきたんだと思います。また、その人の答えはきっと出ているのでしょうが、その人にしか見えないのだと思います。