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コロナで振出しに戻った!

コロナウィルスの感染が広がる中で、「国民の声を聞こうとしているとはとても思えない、自分たちの利益だけを考えているように見える人たち(政治家、スポンサーなど)」によってオリンピックが強行されました。そして、パラリンピックが開催されました。私は、「今年の東京は、安心して開催できる状態にはないから、開催するのは反対」と考えていましたので、始まっても今までと同じ気持ちでオリンピックを見ることはできないような気がしていました。しかし、実際に競技が始まり、アスリートたちの一生懸命な姿を見ていると、「頑張れ!」と応援している自分がいました。



SNSでは、「反対していたのに応援するなんて!」と批判の声がたくさんあったようですし、開催をめぐっていろいろ検討しているときに、一部の政治家が「始まってしまったら、みんな夢中になるから…」と言っていたことを思い出します。こういうことを意識してしまうのは、すでに今までとは違うオリンピックになっていることなのですが、いろいろ考えさせられています。



まず、国民の気持ちがどうであれ、国が「やる」と決めたことは「やる」という事実。日本が民主主義の国になる前にも、こういうことがありました。しかし、私たちは、生まれたときから日本は、民主主義の国であると教えられてきました。しかし教わってきた民主主義とは違う民主主義があるということを今回教えられました。こんなことが起きても、国を主導している人たちは、「私たちを守ってくれる人たちであると信じることができているのなら。あの人たちが私たちのことを考えたうえで決めたことなのだから、まずは、私も受け入れよう」と思えるのかもしれません。しかし、そうではありません。私には信じることができない人がたくさんいるのです。



TVも開催されるまでは「反対」ムードの報道をしていましたが、開催が決まってからは、アスリートたちの感動ストーリーをたくさん報道し、「活躍が期待されるのでみんなで応援しましょう!」という番組に突然変わりました。そして始まったらみんなが盛り上がったオリンピックになっていました。私も、TVを見て、思わずに「すごい!」「頑張れ!」「やった!」と心動かしていました。しかし、この盛り上がりが、「国民の気持ちが一つになり、国を超えてアスリート達が一つの平和な世界を実現したということなのでしょうか?」とても複雑な気持ちです。



「スポーツは人に感動を伝える」と言います。私も本当だと思いますし、私もたくさん感動させられています。しかしそのことが、開催を強行した人たちに利用され、私達も彼らの手のひらの上で踊らされているような気がします。その結果彼らはさらに巨大になり、格差は広がります。こうやって巨大なもの、巨大な流れにみな巻き込まれてゆくのだと思います。今年は、コロナのお陰でオリンピックのほかにも考えなければいけないことがたくさん現れました。「仕事・働くこと」「学び・遊び・友達・学校」「家族」などなど、これまで考えてきたことすべてが振り出しに戻ってしまいました。