オリンピックを何が何でも開催するために、一気にワクチンの接種が早まりました。ワクチンという言葉に私たち世代はまず「本当に大丈夫?」という言葉が出てきます。それは今までにワクチンをめぐる大変な出来事がいろいろあったからです。最近では、「子宮頸がんのワクチン被害」があります。しかし、昨年から始まった新型コロナの地球レベルの感染拡大の流れの中で、これまで、ワクチンを受けないようにしてきた私ですが、昨年末には、周囲への影響を考慮せざるを得ない気持ちになり、インフルエンザのワクチンを受け、先日は、新型コロナのワクチンの第1回接種も受けてしまいました。
インフルエンザのほうは、開発に何年もかけてきたし、接種してから何年もたっているので、それほど問題はないと判断したのですが、今回は、本当に安全なのか? 人体にどのような影響を及ぼすのか? わからないことがたくさんあるけれど、とにかく、「被害を少なくするためには。これしかない」との判断が出て、まず、高齢者からの接種が始まりました。働き盛りの若い人たちや、これからの時代を背負う子どもたちを護るためには「高齢者がまず実験台になる必要があるし、少しでも安心できる環境になるための近道になるのならやむを得ない」と私も感じ、受けたのです。
しかし、最近はオリンピックを開催するために、若い人たちにも接種を広げています。私は心配になります。「オリンピックとは、それほどまでにしてやらなければいけないことなのか?」もわからないまま「みんながワクチンを受けたのだから、安心」という空気を無理矢理作り出そうとしているように見えて仕方がありません。数年後「あの時のワクチンのせいで…こんな被害が」などということが起きないか心配してしまうのです。そうなった時きっと「どうして大人たちは、ワクチンをみんな受け入れたの?」と聞かれることでしょう。
私が子どもだった時、おばあちゃんに「戦争のことどう思っていたの?」と聞いたことがあります。そのとき、おばあちゃんは「賛成するとか、反対するといことを考えたこともないまま、ただ戦争が始まった」と受け止めていたというような話をしてくれました。私はショックでした。なぜなら、大人たちはみな「賛成なり反対なり」皆それぞれ判断してきたはずと思っていたからです。
あの大変な戦争を体験してきた大人たちが、あの戦争を始めるときに、判断することなくただ受け入れるだけしかなかったことを知ったのです。私たちが大人になったら、そういうことは繰り返さないように、自分で考え判断できる大人になろう」と考えながら生活してきたつもりなのですが新型コロナは、私に、自分で判断する力がないだけではなく、科学の不確実さ、情報の不公平さ、そして、ゆっくり考え、安全かどうかを判断する時間を奪います。家族を守り、生活を守るためには、自分にできることは、国の決めたことを受け入れるしかないということでいいのでしょうか。