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「考えてもわからない」のが数学

友人から、数学オリンピックの日本代表になることを目標に、青春のすべてを数学にかける高校生を描いた、漫画『数学ゴールデン 1』(蔵丸竜彦著 白泉社)が届きました。きっとどこかにこんな高校生もいるのかもしれないと思うと、なかなか面白く読めました。(2月には2巻が出るそうです)その中で、数学塾を運営しているという堀口智之さんのコラムが載っていました。


私が塾を始めたころ、学校で授業についてゆけない子どもたちのことを「落ちこぼれ」と言い、社会的に大きな問題(7・5・3問題)になっていましたが、「落ちこぼれ」ではなく、教師による「落ちこぼし」だと言われるようになったりして、「勉強がわかる」ということが大きなテーマになっていました。そのとき私も、子どもはみんな「わかりたい」と思っているのに、わかるように教えてもらえなかったから「わからない状態」になっていると考えていました。ですから、「わかるように教える」ことが教師の仕事と考えてきました。


しかし、塾を始めてから、二十年ほど過ぎたころから、学校での教え方が、どんどん雑になってゆくことや、どの子どもも「わかりたい」と思っているというわけではないことに気が付きました。いっぽうで、「わかることの意味・大切さ」を子どもたちに伝えたいと思ってきましたし、今もそう考えています。そこで、「考えてもわからないのが数学」というタイトルを見て、驚きました。私はこれまで「すべて、だれにでもわかる」ことを前提に考えてきたからです。彼は、「そもそも多くの数学の問題は考えてもわからない。いや、わかるわけがない」と言い切っているのです。


数学の分野は、歴史上のあらゆる天才たちが、一生をかけて作り上げてきたものです。マイナスの数を知らなかった時代の人たちには、「0-4=-4」は、もともと0個のリンゴから4個のリンゴをとっても、もともと無かったので、「0-4=0」という結論になってしまいます。「マイナスはある」と「当たり前に」思っている私たちは不思議でしょうがありません。先人たちからすれば、当たり前ではなく、思考の末にたどり着いた究極の結論なのですから。


彼は、「数学は、考えてもわからないのが、まずは当然です。わからなくて悩むのが当然なのです。わからないのを前提に、先人たちの教えを受け入れながら、数学と向き合うことも大切なのです。」と結んでいます。私は読み終わって「そうなんだ! わかる前に、受け入れなければいけなかったんだ!」と知らされました。どう説明していいかわからないことがたくさんあります。例えば、前に書いた「1+1=2」とか「この1」と「あの1」は同じということもそうです。「わかる」ということではなく、「そう受け止めなさい」ということだったんです。