「数えるだけだったら、だれでもできる!」と言われます。ですから、物の数を数える仕事は、だれにでもできる簡単な仕事とみなされています。しかし、先月行われた、アメリカの大統領選挙では得票数がなかなか確定せず、数えることは難しいことを表しています。人の手で数えると間違いが起こることがあるので、器械を使って、絶対に間違いが起きないようにするのが普通だと思うのですが、アメリカでは、人の手で数えることになりました。
「数を数えるということ」は、本当はとても難しいことだと改めて知らされました。ほとんどの人は、小学校に入学すると、数の勉強をしてそれ以来、数えることを難しいと感じることもなく大人になっていると思うのですが、なぜこんなに難しいことが、簡単なことと思えたのでしょう?
私は、長い間「1+1=2」と言い切れるのはなぜだろう?と考えてきました。50歳を超えたころ、あることに気が付きました。それは、小学校の算数の教科書です。そこには、きれいなリンゴの絵が描いてあります。お皿の上のリンゴは、どれも同じ形、同じ色です。実際にはそのようなリンゴはありません。そこに描かれていたのは、現実とは違う、理想的な世界のリンゴでした。ても、その描かれたリンゴを教師も生徒も誰もが、自然に、受け入れ、現実の世界と思っているのです。実は、私たちは皆、存在しないリンゴの絵で数(計算)の勉強をしてきたのです。
このことに気が付いたとき、私は、目からうろこが落ちました、今まで考えてきたことのすべてに納得がいったというか、もやもやが、なくなりました。ある意味、「1+1=2」は信仰だったとわかったのです。つまり、私たちの目の前にある「この1」と「あの1」が同じと思えたのです。だって、同じ絵が描かれていたのですから、当たり前です。しかし、現実の世界では「この1」と「あの1」が同じかどうか確認しなければいけなかったのです。つまり、アメリカで起きていたことは、私たちには同じに見える投票用紙ですから、用紙の枚数を数えるだけと思ったのですが、バイデン氏が言う「1枚」と、トランプ氏が言う「1枚」は、同じではなかったのです。ですから、お互いに認める「1枚」を決めなければいけないのですから、大変です。
だれからも信頼される「1」を決めるのが大変なことは、長さの「1」を見てもわかります。私たちが当然のように使っている「1メートル」について調べてみると、「1メートル」を国として正式な基準としていない国にアメリカがあります。フランスが、18世紀に世界共通の単位として目指してから300年経っているのにです。日本でさえ、今の計量法になったのは、1993年で、ほぼ30年前なのです。「1」を決めるのは人間です。そして、そこにはお互いが信頼しあえる関係が必要です。きっと、世界共通の「1」ができたとき、皆が信頼しあえる世界が出来たと言えるんでしょうね。