「ルールは守るもの」とわたしはずっと考えてきましたが、私の反対側に「ルールを守らない」人
がいました。「ルールを守らない」人の中には、最初から「守る気がない人も」いたのです。そのよう
な人を「嘘をつく人」と言います。先の選挙の時に、「選挙運動では、うそをつく・デマを言うのは当
たり前」という政党の党首がいて、私はびっくりしました。その人は、「昔から選挙の時には皆やっ
てきている」と話していたことに、二度びっくりしました。
この場合「ルールを守らなかった」ということとは違うので、なんと表現したらよいのかわかりま
せん。こんなことが昔から、当たり前のようにあったというのです。私は、このようなことがあること
は知っていたけれど、あってはならないことが、たまたま起きていたと思っていました。なんと、私
は、『うぶ』だったのですね!この「ルールを守らない人」に向かって、私はどんな風に語ったらよい
のでしょうか?子どもとの関係の世界では、あまり考えないケースです。というか、私は一度も考え
たことがありません。
「ルールを守らない」のとは違い、最初から「ルールを守らない」ことを宣言したうえで、「約束をして
いる」約束(?)は、「約束なの?」。私には、わかりません。『うそも方便』という言葉が昔からあります
。それは、「うそをつくのは感心しないが、真実はすべて口にしてよいとも限らない。良い結果を生
むのに役立たせるためや、円満に事を運ばせる手段として、うそも時には必要ということ。釈迦も
方便とか、うそをつかねば仏になれぬ、とも言って、もとは仏教の教えであったという。」(ことわざ
辞典 梧桐書院)と、書いてあります。
先述の候補者が言っていることとは全然違います。彼は「約束を守らなかった」ことになるので
しょうか?「ルールを守る」という単純なことを考えていても、このような訳のわからないことが、現実
の社会では、起きています。そういえば、ふと、私が子どものころから大人が子どもたちに『うそ』を
言ってきたことに気が付きました。それは「いい学校に行ったら、いい会社に就職できる」という言
葉です。多くの子どもたちは、親や先生にそう言われながら、受験勉強に耐えてきました。もちろ
んその時その時、「本当だった」と思った人もいたとは思いますが、多くの子供たちは「そんなこと
はなかった」と感じてきたと思います。私も「そんなことはなかった」と思った一人です。ですから、
塾を始めてからずっと、受験を控えた子どもたちに必ず、この話は「本当ではない」と話してきたの
ですが、ほとんどの子どもは「それでも、やっぱり・・・・・」と言って、受験勉強に耐えました。そして
また、「そんなことはなかったです」と、自分の答えを出した子どももたくさんいるのですが、誰一人
、「親や先生はうそつきだ!」と非難しませんでした。大人たちはいつも、心優しい子どもに恵まれて
きました。だからなのか、その子どもたちが大人になって、子どもにうそをついています。
