JR三鷹駅北口徒歩3分の個別学習塾
社会人・大学生から高校生・中学生
不登校のかたまでお越しください!

ルールを守る!(その4)

去年10月、首相が「ルールを守る!」と政権公約した時から、「ルールを守る」ことについて考えてきましたが、実は宣言した途端に「ルールは守らない」と言い出しました。最近では、ある県知事がルールを全く無視した県政を行い、その下で働いていた人が自ら命を絶ってしまったという悲劇が起きています。国や県のリーダーがルールを守らない現実を私たちは見せつけられています。しかも、そのリーダーは、きちんと(?)選挙で選ばれた人ですので、このような人を選んだ人たちのことを、どう考えたらよいのか悩んでしまいます。



先日、新聞のコラムを読んでいたら「人間とは、約束ができる動物である」という言葉を目にしました。一体、いつ、誰が言った言葉なのか知りませんが、これを読んだ時に「ルールを守れない、守らない動物が我々のリーダーなの?」「我々が選んだリーダーは、人間以下の動物だったの?」と思ったのです。でも、落ち着いて考えてみると、「いや、この言葉は間違っている。」「人間は、約束をすることができるけれど、約束を守るか、守れるかどうか、わからない動物である」というのが正しいのだと考え直しました。



一昔前「ルールがまだできていない世界で、自分がルールを作る立場になればいいんだ!」と考え、大成功をして(?)大金を手に入れた人がいたことを思い出しました。これまで、私が考えてきた「ルールを守る、守ろう」という世界とは、全く逆の世界があったことを思い出しました。ルールを守らないリーダーは、ルールを知らないというよりも、「ルールがあっても、都合が悪くなったら、ルールを変えればいいんだ」「私がルールだ!」と考えている場合が多いような気がします。私たち庶民は「ちゃんとルールを知ろう」そして「そのルールをしっかり守ろう!」と考えている間に、全く違うことを考えているリーダーが、世の中を実際に動かしているのです。



庶民たちが「ルールを破った」時は、必ず罰則があり、なにがしかの責任を取らされています。あるとき、コンビニでたった1個のおにぎりを空腹のあまり取ってしまった老人がいたそうですが、その老人は警察に捕まえられ、きちんと罪を償わされたと言われています。リーダーたちは、ルールを守らない、破っていることがわかっても、責任を追及されない場合がたくさんあります。こんな状況で、私たちが「ルールを守る」ということをどのように考えればよいのか? 思い切って「みんなルールなんか守らなくてもいいんだ!」と大声で叫びたくなりそうです。でも先述の「人間とは、約束ができる動物である」という言葉が気になります。私は、いつでも「人間でありたい」と思います。動物としての人(ひと)ではなく、人と人の間(社会)で生きてゆく「人間」です。この国のリーダーには、エリート大学と言われている大学を卒業した人がたくさんいます。我が国で良い学校と言われる大学は、良い人間を育てていないようです。