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ルール守る!

これは、去年10月に新しい政権の石破内閣が掲げた、政権公約です。このニュースを聞いたとき、私は、ビックリしました。なぜなら、毎年新学期の『ピカピカの小学一年生』に向かって、校長先生が、話しているようなことだったからです。しかし、日常生活の中で、私はいつもちゃんと「ルールを守っているか?」考えてみました。例えば、交差点の信号機が赤だったとき、左右を確認して、車の影が見えないとき、さっと道路を横断しているときもある。公共料金の支払い期日を過ぎていることに気が付かず、慌てて払ったこともありました。小さなことでは、いくつも思い出すことがあります。



私たちの国の一番大きなルールは、【日本国憲法】です。40年以上前私は市の教育委員会の職員から「あなたは、国民の義務を怠っていると言わざるを得ない」と言われたことがあります。それは、第26条の[教育を受ける権利と受けさせる義務]のことです。そこには「1. すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。2. すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と書かれています。



息子が小4の時、登校しなくなりました。その時、私は不登校の状態を受け入れていたのですが、教師も、教育委員会も息子の気持ちを一度も聞くことがないまま、息子のことを『わがまま』であり、それを許す私を『社会性のない父親』と決めつけてきたのです。それ以来、私はこの26条についてずっと考えてきました。息子の能力に応じた普通教育を受ける権利は守られていたのでしょうか? そして、その息子の不登校の状態を受け止め、どのような教育環境を息子に用意すればよいか、考えていた私は、息子に普通教育を受けさせる義務を怠っていたのでしょうか? 私は、学校に行けない、行かないことで苦しんでいた子どもたちと、たくさん出会ってきました。多くの人は、それぞれの社会の中で、いろんな人と出会い、いろんなことを体験し、きちんとした大人に成長してゆきました。このことは、彼らに必要だったのは、彼らをありのまま受け入れ、いろんなことを体験できる環境だったのだと思います。子どもたちに必要な教育環境とは、『学校』という箱ではなく、子どもたちの能力にあった内容を伴っているものでなければ意味がないことを示しています。



「ルールを守る『教育』とは」どういうものなのか、ずっと考えてきました。まずは、「その能力にあった」ということはどういうことでしょうか? 子どもの能力は、たくさんあります。そして「普通教育」とは、どのような教育なのでしょうか? 社会に適応する力を身に着ける教育でしょうか? 民主主義社会を構成する人材を育てる教育でしょうか? 競争社会を生き抜く力を身に着ける教育でしょうか? 一人ひとりの能力を伸ばす教育でしょうか? いろいろ考えられます。昨年10月に文科省は、30万人の子どもが不登校であると発表しました。「ルールを守らなければならない」のは、子ども、保護者、学校、国・都道府県・市町村の誰なのでしょうか?