先月行われた、アメリカ大統領選と兵庫県知事選で、これまで、新聞やTVでしか情報を獲得していなかった、たくさんの人がSNSを使ってアップデートしたために、騒動が起きました。なぜなら。それまで獲得していた情報と違う(否定する)情報に触れたため、「本当はこうだったのか!」と思い込んだためにいろんな騒動が起きたのです。それまでの新聞・TVは向こうから流れてくる情報で、「その情報は本当?」「嘘じゃないの!」と感じることがあっても、自分で確かめることができませんでした。ところがSNSは、自分で情報を探し、見つけることができるので、一度「へぇー、そうだったんだ!」と感じた情報は、自分が見つけた情報なので、一方的に流れてきたこれまでの情報より「本当だ!」と思い込んでしまう傾向があるようです。SNSで獲得した情報だって「自分で」「本当かどうか」確認することができないのに…?
さらに、SNSではある情報を一つ見ると、似た情報が次々表示され、また見てしまう「フィルターバブル」(注1)につながり、これこそ、たくさんの人がTVや新聞は「嘘」で、SNSで獲得した情報が「真実だ!」と思ったようです。
自分に押し寄せてくるメディアの情報はたくさんあります。私が子どものころと比べると、何万倍の量になった感じです。私には、一つの情報だって、正しいかどうか調べることはできませんから、「もう、何もかも分からない! 真実は何なんだ!」と叫びたい気持ちです。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』とか『国民の違和感は9割正しい』などを書いた国際ジャーナリストの堤未果さんは、「そんな怖い時代を生き抜くためには、違和感のセンサーを「オン」にすること。モヤモヤしたら一度立ち止まる。すると脳がそれをキャッチして、理由を探し始めます。消えてしまう前に、意識して言語化するようにしてください。違和感とは、本来の在り方からズレているからこそ感じる〈苦しさ〉。それは私たちが人間性を失っていない証拠です。」と話していました。
「本当にそうだよな!」と思う私ですが、今回の騒動の渦中にいた、たくさんの人たちも、おそらく、それぞれの人の違和感センサーが働いたんだと思います。「だって、みんな人間なんだもの!」「ムムム…」私は、次の言葉が出てきません。こんな状況だから、私たちに今一番必要なものは「メディアリテラシー」といわれることはよくわかります。でも一体どうすればいいのでしょう? まずは、自分が獲得している情報が「偏っていないか」確認することくらいしか思いつきません。ふと、「真実の情報の獲得 = たくさんの人とのリアルな出会い」ではないかと思いました。
(注1)「フィルターバブル」とは、アルゴリズムがネット利用者個人の検索履歴やクリック履歴を分析し学習することで、個々のユーザーにとっては望むと望まざるとにかかわらず見たい情報が優先的に表示され、利用者の観点に合わない情報からは隔離され、自身の考え方や価値観の「バブル(泡)」の中に孤立するという情報環境を指す。