先々月の塾長日誌で、「長袖を脱がない子どもたち」を書いているとき、頭に浮かんでいた生徒がいます。その生徒は、中学校で不登校になり、通信制高校に在籍して、とてもおとなしく、私とも、あまり会話をすることもなく、どちらかというと運動も苦手なタイプの塾生でした。私は、レポートの応援をしていたのですが、ほとんど問題もなく、スムーズに進んでいたのですが、「体育」のレポートの時でした。このころの通信制高校では、スクーリングの時は、体育館でなにがしか体を動かすことをするのですが、日常生活で少しでもスポーツに触れてもらおうと、縄跳び・腹筋・腕立て伏せ・散歩などなど、実際に自分が体を動かした記録を報告させるというようなレポートの課題もありました。
その時のレポートの課題は、確か「夏休みの間に、あなたが体験したスポーツについて」というような内容でした。「例えばキャッチボールをした、スポーツ観戦をした、散歩をした、など何でも良いですから、あなたが体験した感想を書いてください」というものでした。しかし、課題を前にした彼の手は止まったままで、全く動きません。「どうしたの?」と私が話しかけても無言です。「課題は、何でもいいと書いてあるのだから、夜TVでプロ野球を見たときのことなんかで、面白かったとか、つまらなかったとか、何でもいいと思うよ」「どうしても文章が浮かばなければ、おじさんが適当に書いてあげてもいいよ」と話した時です。突然彼は、うつむいたまま涙をこぼし始めたのです。私は驚いて思わず「どうしたの?」と聞くと、「どうしてみんな僕の心を覗こうとするの!」と言ったのです。私は何も言い返すことができませんでした。
「子どもの心を覗く」ということでもう一人の塾生のことを思い出しました。彼女は一人親家庭で不登校をしている中学生でした。ある日、雑談をしているとき、時々行っているという相談室の話になりました。私が、「どんなことをしているの?」と聞くと、「いろんなことを聞かれるから、それに応えているだけ。時々絵も描かされる」と言います。そして「この間、絵を描いたとき、太陽の色を黒で書いたらカウンセラーは、きっと、何か言うんだろうなと思ったから、太陽を黒く塗ったんだ。そしたら、やっぱりお子さんは親子関係に何か問題を抱えているようですとお母さんに話していた。カウンセラーってバカみたい!」と話してくれました。
通信制高校の教師も、相談室のカウンセラーも、決して悪い人たちとは思えません。どちらかというと、少しでも子どもの気持ちに寄り添おうと努力している大人たちだと思います。しかし、この二人の塾生は、「子どもの気持ちに寄り添うということは、私の心を覗くことだ」と言っているのだと思いました。子どもに寄り添った教育を考える時、このことを「忘れてはいけない」と、私に教えてくれた塾生でした。