朝日新聞(7月28日付)のフォーラムの特集は、「子どもに伝える戦争」というタイトルだった。リード文には、「8月15日の終戦記念日が近づくと、過去の戦争について知る機会が増えます。子どもがショッキングな映像や写真を見て、つらい気持ちになることも。大人はどう関わり、戦争や平和について何をどのように伝えたらよいのでしょうか。皆さんと考えます。」と書いてあります。戦争を知らない戦後生まれの私は、幾つになっても戦争を伝える大人ではなく、大人たちから伝えられる子どもなのだけれど、自分の子どもが生まれてからは、自分は戦争を知らないけれど、子どもたちに戦争や平和を伝えなければいけないと考えるようになりました。
記事には、10代から90歳以上までの幅広い年代からの声が載っていて、「怖くて何度も夢を」「押しつけはやめて」「タイミングが大事」「気分が落ち込む」などの言葉も載っていました。自分の記憶をたどってみると、子どものころは、「知らなければいけないこと」として意識してきたように思いますが、知ろうと思ってそれなりに本を読んだりしていました。そのころは、戦争当時の資料がいろいろ世の中に現れ、「これが本当の姿だ!」と、ショッキングな見出しの本が次々と出版され、何が本当の話なのか、わからず混乱した記憶があります。
自分の子どもたちに対しては、TVや映画などを意識的に見せようとしたり、私が親たちから聞いてきたことを話すようにしていました。その結果、親子の間で会話や理解が深まってゆくことはありませんでした。子どもたちは、分かったようにふるまってくれていたけれど、私の気持ちの空回りで終わったように感じています。いや、逆に子どもたちの気持ちを遠ざけてしまったと感じることのほうが多かったと思います。
先日、友人から「住んでいる地域の公民館の子どもたちの夏休み体験教室で、自衛隊見学に連れて行ったと知り、複雑な気持ちになった」という話を聞きました。その陸上自衛隊の広報施設は「ワクワク!ドキドキがとまらない! 見て触れて体感して 体験型ミュージアム」で、子どもたちは、「楽しかった」「かっこよかった」「迫力があった」と、ドキドキ体験したようだと言います。友人が感じた複雑な気持ちは私にも伝わってきます。私たちは、戦争を知らない子どもたちと言ってきたけれど、今の子どもたちが生きている世界では、ウクライナやイスラエルのガザなどで戦争が起きています。昔は、TVや新聞しか情報源はなかったけれど、今の子どもたちは、TVや新聞ではなく各種SNSやYoutubeなどを見ているといいます。情報も多様化しているので、皆知っているはずとも言えない状態です。そんななかで、私は子どもたちとどんな会話をしていったらよいのか、わかりません。ちょうど現代詩手帖5月号(思潮社)に、ガザ地域の詩人たちの詩が特集されていました。その中で、ゼイナ・アッザームの「おなまえ かいて」、リフアト・アルアライールの「わたしが死ななければならないのなら」が、とても印象に残りました。ぜひ、皆さんも手にとって、読んで頂けたらと思います。