「ご批判を真摯に受け止めます」という言葉を、ここ何年もの間、我国の首相から何回も聞かされてきました。そのたびに、どう受け止め、どう改善されたのか? 訳が分からないことばかりが続いています。「真摯」という言葉の意味は何なのか? インターネットで調べてみました。
『真』は、「うそ、いつわりでないこと、正しいこと、またそのさま」を表し、『摯』は「まじめ、てあつい」という意味を表しています。そして、『真摯』は、まじめに一生懸命取り組むさまを強調した言葉ですと、書いています。次に『受け止める』という言葉です。「留めておく」という意味の『受け止める』には、「意識の中に常にとどめて怠らない」という決意を表していると続きます。これまでの首相が発する『真摯』という言葉の中に、一度も「まじめさ」や「一生懸命な姿勢や態度」を感じることはありません。さらに、批判の言葉を「受け止めている」とはいつも思えず、「静かに批判が収まるのを待つしかない」と思っているようにしか見えません。
もし、子どもがこのような態度や姿勢を示したら、大人たちは黙って許すことはありません。しかし、我が国の首相は平然としています。つまり、国民が許しているのです。ですから、もう言葉の意味が変わってしまったというしかない感じです。
言葉の意味が、社会の変化に伴っていつの間にか変わって使われることは、普通にありますが、ここまで、変わっていると、辞書を書き直さなければいけない状態です。そういえば、このようにいつの間にか意味が変わって使われるようになった言葉がいろいろあります。このような言葉の意味の変化についてゆくのは大変です。昔のように使っていると「セクシャルハラスメント」「モラルハラスメント」など「〇〇ハラスメント」になることもたくさんあります。
『平和』『武器』などもいつの間にか変わって使われるようになりました。『平和』とは、戦争のないことと習ってきましたが、『積極的な平和』と『消極的な平和』があったり、『武器』は人を殺傷する道具と理解してきましたが、「人を殺傷する武器」と、「殺傷しない武器」があるそうで、いつの間にか、我が国は、『人を殺傷しない武器』の輸出はすることになりました。
私たちは、子どもたちにどのように言葉を伝えていったらよいのか? 考えてしまいます。昔ながらの、わたしたちが「本当(?)の意味」と思っていることを「本当はね」と言って説明することが不可能になっていると、思います。言葉の意味は、昔からみんなで作られてきたことを思うと、「事の成り行きを見ている」しかないと思うのです。