先日、塾生の一人からメールで送られてきた質問です。「勉強は、分かると面白くなるよね。」などとよく言います。私も、「ただ計算して答えを出すだけではなく、意味を考えて、何をしているのかよく分かった勉強をするのが良い」とか、「ただ知識を詰め込むだけの勉強は間違っているとも言ってきました。あらためて、こう問われたとき、どう答えたらよいか分からない私に気が付きました。「1時間は60分と分かった」と言うとき、何が分かったのでしょう。「1時間は60分」と知っただけで、わかったということとは違うような気がします。その時、塾生には「人間には目が二つしかないので、2次元での認識しかできません。しかし、現実は3次元ですから、見えた範囲で、分かったと言っても、必ず見えないところがあるので、全体を正しく認識することができていません。つまり、人間は全体を正しく認識することができないので、分かるということは起きないのです。ただ、分かったと思うことしかできないのです。」こんな感じで答えたと思います。
しかし、先月のお知らせに書いた「1+1は2になる」ということで考えてみると、私は「1+1=2を知ってはいたけれど、わかっていなかったことになると思います。また、youtubeを見て「人はなぜ、社会をつくるのか?」という問いに対し、「動物は、子どもを守るために社会をつくっている」との安富さんの話を聞いて、私は「分かった!」と感じました。このとき、私は「ストン」と音がしたようにさえ感じました。私には何が起き、いったい何が分かったのでしょう?
プロ野球の名選手でも「どのように打てばよいのか?」最後まで「分からない」と話す人もいます。このとき、「分かる」ということは、「出来る」ということなのかもしれません。私たちには、100回の打席で30回ヒットが打てたら、一流の選手と思っていますが、70回も失敗しているのだから、とても本人は「出来ている」とは言えないでしょうし、「どう打てばよいか?いまだに分からない」と話すのもよく分かります。また、私たちには、本当に何かを極めたと思える○○の達人と言われる人たちの中にも、「いやいや、まだまだ分からないことだらけです」と言う人がいます。私たちには「わかっているように見えても、本人には「まだ分からない」のです。きっと「人生」と、「勉強」では違うということなのかもしれません。自分でも、「分かった」と思ったのにしばらくすると「分かっていなかった」と感じることもよくありま。2
Googleを見ると「事実・内容・意味がはっきり捉えられるようになる」「はっきりしていなかったことに区別がつく」などの意とあります。ということは、しかし、「はっきりしていなかったことに区別が付く」という意味では、「1+1」や「社会をつくる理由」は、「分かった」と言えるのかもしれません。しかし、「はっきりした」と思っていたことが、「はっきりしなくなる」ということもよくあります。いったい、どのような状態になることが「分かった」ということなのか?ますます分からなくなりました。
