学校教育法(1947年)によって、学校教育の中で、『体罰』が禁止されてから約80年がたつのに、いまだに、特に体育系の部活動などで起きているとの報道があります。また、家庭の中で起きている『体罰(しつけ躾)』は親が子どもを美しく育てるという考えが強いからなのか親による『体罰』が、禁止されていませんでした。しかし、それもいつの間にか、『虐待』という言葉で言われるようになり、社会の空気は少し変わりましたが、『体罰』を禁止する法律ができていたことまでは知りませんでした。6/29の朝日新聞に『「体罰=しつけ」男らしさの呪縛』という記事を読み、『親による子どもへの体罰』も、2020年に改正児童虐待防止法が施行され、禁止されたことを知りました。
5月に、プロ野球の監督が娘に暴行を加えた疑いで逮捕されたというニュースがありました。その時、監督の嘆願書署名に、8万5千人もの人が集まりました。なぜ、暴力の容認論が広がるのか、立命館大学特任教授(社会病理学)の中村正さんが解説していました。中村さんは、家庭内暴力の男性加害者へのサポートを行う「男親塾」の主催や「男性問題相談事業」にも取り組んでいるそうです。そこに相談にくる人たちの多くは、仕事において戦略を立てて目標を達成できる優秀な人が少なくなく、子育てを頑張ろうという思いを持っているといいます。
暴力を否定する人が多数であるのに、暴力を擁護する人が多いのは、体罰を受けて育った「自分の人生や過去を黒歴史にしたくない」という自己防衛の心理が働くからだといいます。厳しい指導や体罰に耐え、自分の弱さに打ち勝ったという自負は、「古い男らしさ」の価値観と強く結びついている。親や指導者に反発する一方で、自信にもなっており「耐え抜いて力を付けた自分」を誇りたい。そうしないと自分の過去を否定することになる不安があるのです。自分が他者の世話をする立場になり、思い通りにならない不合理さにイライラしてしまうのです。家族といえども価値観の違う「他者」なのに、コントロールしようとするから、手が出てしまうわけです。子どもは、合理的に動いてくれません。それどころか、予期せぬ行動をする。育児は自分が思い描いたフレームに合わない事態の連続です。社会はまだ男性優位で、男性は幼いころから無意識のうちにその恩恵を受けています。「子どもがうそをついた。約束を破ったから殴った」と言い訳をする人がいますが、それは強い側が暴力を正当化するための勝手なルールにすぎません。
「うそをついたら殴る」という厳しいルールがあると、「うそをついていない」と言う「うそ」を子どもにつかせることになるだけでまた殴ることになります。約束事は相手と合意して成り立つと伝えるとハッと気づく人は多いです。親の思い通りに動かそうとする「コントロール」の育児から脱することです。近くで助ける「近所」の思想と言います。親しい関係だからといって家族をコントロールしない。その意識を持つだけでも関係性は大きく変わるはずです。その通りだと私も思います。
