JR三鷹駅北口徒歩3分の個別学習塾
社会人・大学生から高校生・中学生
不登校のかたまでお越しください!

ルールを守る!(その13)

前回は、『ルール』に追い詰められる子どもについて書きましたが、よく見てみると、そんな『ルール』は存在していなかった!ということもあるという話を聞きました。最近、ニュースでよく見る、全国各地で行われているデモです。私は、デモをするときは必ず警察に届けなければならないと思っていたですが、今行われているデモは、主催団体がなく、一人一人の個人が集まっているのです。政府に対して、自分の意見、意思を表現する行為なのです。表現の自由を行使するのは、憲法で保障されていますから、表現しようと思ったときは、堂々と表現すればよかったのです。こんなことにも、私は『ルール』があると思い込んでいました。
 

また、「ルールがあるからいいんだ!」という考えもあると、このお知らせを読んでくれている友人からメールが送られてきました。「40数年前、塾の中で、『○△高校(地域の中で偏差値が一番高い高校)の連中は、何の規則もなくてもテキトーにやっていけても、俺たちパンピーは決めてもらったほうがやりやすい。ヤンキーたちも校則があるから破る意味があるんで、リーゼントもチョーランもOKだったら詰まんないと思うよ』と、塾生から言われたことがあった」と伝えてくれました。そう言われれば、私にも身に覚えがあります。大人に言われた通り『ルール』を守っているのは、子どもで、『ルール』を破って初めて、一人前の大人になるんだ!と思ったこともありました。例えば、寄り道・遅刻などなど、『子どもの世界』を少しだけはみ出してみるのです。見つかったらどうしようとドキドし、見つかったら堂々と(?)罰を受ける。そんな年上の人を、尊敬する空気もありました。
 

遊びやスポーツも、『ルール』があるから面白いといえるものの一つです。『ルール』は、みんなが楽しめるように、民主的(?)に作られます。ですから、ルールを破った時は、当然罰があります。最近は、『ルールを守れない奴は許せない』と厳格さを求める空気が強くなり、「その判断は正しいの?」「だれが判定したの?」など、より「正しさ」「公平さ」が問題になりました。スポーツの世界では、近年映像やAIなどによる判定が多くなりましたが、社会の中の『ルール』でも、監視カメラなどが当たり前のように普及し、社会の価値観が、全体主義的傾向が強くなり排他的傾向が強くなってきたように感じます。
 

また、『ルール』があるから、そこに意味があるのは、俳句などの定型詩や数学などの定義や、公理の世界があると思います。定型美を求め、枠の中で、苦吟し、悩みます。中には、枠を超えた、『自由』なもう一つの世界を作り出す人も現れます。新しい『自由』な世界が生まれてくる前には『ルール』に縛られた世界をしっかり理解する行為があります。そのうえで、枠を飛び出す、それが『自由』なのかもしれません。